新型コロナ流行の社会文化面からの検討
~流行1年目に焦点をあてて~

新型コロナ流行の社会文化面からの検討 ~流行1年目に焦点をあてて~

この原稿は「バムサジャーナル37巻4号」に掲載された原稿を一部修正したものです。

1.はじめに

 新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の流行は、大きな人的被害を生じただけでなく、経済や社会生活にも深刻な影響を及ぼした。こうした大規模な流行が起きた背景を明らかにし、今後の対策に活用するためには、医学面だけでなく、社会文化面など人間学的な観点からの検討が必要である。本稿では、こうした手法を用いながら、新型コロナの流行発生から世界拡大する最初の1年間に焦点をあてて、多大なる被害が生じた要因を検討した。

2.中国・武漢での流行発生

1)発生原因に関する2つの説
 新型コロナの流行は19年12月に中国の武漢市から始まったとするのが一般的である。原因となったコロナウイルスはヒトにとって未知のウイルスで、本来の宿主はコウモリと考えられている1)。今回の流行では、コウモリからヒトへ直接感染したのではなく、中間宿主となる小動物を介して感染が起きたと推測されている。
 武漢市でどのような経路でヒトの感染が起きたかについては、武漢海鮮市場説と武漢ウイルス研究所説の2つ説がある。前者は市場で販売していた動物がコロナウイルスを保有しており、その動物から市場の従業員や訪問客が感染したとする説である。後者は同研究所でコロナウイルスを用いた研究をしていたところ、そこで働いていた職員が感染するなどして、外部に拡大したとする説である。
 この2つの説をめぐっては、WHOが21年1月に調査団を武漢市に派遣し、市場説が有力であるとの結論を暫定的に出している1)。この時のWHOの調査結果などを参考にして、市場説を支持する医学論文もいくつか発表されている2),3)

2)中国の伝統料理の関与
 中国には古くから野味という、野生動物を食べる伝統料理があり、ハクビシンやセンザンコウなどが人気の食材になっている。この食習慣は中国の長い歴史の中で脈々と続き、市場での動物の販売も古くから行われてきた。こうした市場で販売される動物の病原体が、ヒトに感染することは少なかったようだが、今回それが起きたとすれば、原因は動物の産地にあると考える。
 20世紀後半から、中国では経済発展により土地開発が加速し、奥地にまでヒトが立ち入るようになった。食材となる野生動物についても、それまでは町の周囲で捕獲していたが、最近は奥地で捕獲することも多くなったようだ。こうした動物が未知のコロナウイルスを保有していたため、市場で販売中にヒトに感染した可能性がある。2003年、中国の広東省でおきた重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行も、未知のコロナウイルスを原因としており、同様な機序でハクビシンを感染源として発生したと考えられている4)

3)発生時期と場所の影響
 中国政府は19年12月末、武漢市で流行が発生したことをWHOに報告したが、武漢封鎖という強硬措置をとったのは20年1月23日だった。この間に、流行は武漢市だけでなく、その周辺地域や中国国内、さらには国外へと広がっていった。これだけ急速に拡大した原因は、ウイルスの感染力が強かったことに加えて、流行が拡大しやすい時期と場所で発生しためである。
 発生時期は、1月24日からの旧正月(春節)が始まる直前という、中国で人流の最も増える期間だった。中国ではこの時期に多くの人が郷里に戻るとともに、海外旅行に出かける人も数多くいる。こうした人流の増加は春節の前から始まっており、武漢市の市長は封鎖直後に、「すでに500万人が町を離れた」との声明を発している5)
 発生場所も武漢市という交通の要衝だったことが、流行拡大を加速させた。この町は中国の真ん中に位置し、鉄道により北京、広州、上海に約4時間で到着できるとともに、武漢空港からは中国国内の100都市以上、国際線は世界約60都市に航空便が就航している。この町で感染力の強いウイルスの流行が発生すれば、急速に中国国内のみならず、世界各地に飛び火することは必定だった。

3.中国から西欧と中東への拡大

1)新たな流行の震源地
 その後、中国では武漢市のある湖北省を中心に流行が拡大し、2月中旬の累積感染者数は約6万人(死亡者1600人以上)に達する。この時期が中国国内での流行のピークで、これ以降は新規感染者数が減少し、3月になるとほとんど発生が見られなくなる。しかし、この時点でウイルスは世界各地に拡散しており、とくにイタリアとイランで感染者数が急増し、新たな流行の震源地になった。

2)イタリア北部での感染者急増
 イタリアでは2月中旬から、北部のミラノやベネチア周辺で中国に渡航歴のない患者が多発しており、この時までに国内感染が発生していたと考えられる。感染者数の急増にともない医療機関には多くの受診者が殺到し、検査や治療が追いつかず、死亡者が急増する事態になった6)。イタリア政府は北部地域の封鎖を行うが、流行は国内全域に広がり、3月10日には全土をロックダウンするに至る。3月中旬までにイタリアでは、4万人以上の新型コロナ感染者が発生し、中国を上回る3000人以上が死亡していた。
 イタリアでは北部を中心に1990年代から中国人労働者が増加しており、その数は2010年代には30万人以上に達していた7)。また、イタリア政府は19年3月に、中国が推進する巨大経済圏構想「一帯一路」に、G7加盟国として唯一参加することを決めており、両国の経済関係は強化されていた。これにともない、イタリアを訪れる中国人観光客も急増し、両国の人的交流は活発になっていた。このように中国からイタリアに流行が飛び火した背景には、両国の深い関係があった。

3)イタリアから西欧への拡大
 3月に入るとイタリアでの流行は近隣の西欧諸国にも波及していく。これに関与したのが、2月中に西欧各地で開催されたカーニバル(謝肉祭)だった。
 カーニバルはキリスト教徒(特にカトリック)の祭典で、イタリアのベネチアではコスプレ大会を行うことが人気を呼び、ヨーロッパ各地から毎年多くの観光客が訪れていた。20年のベネチアでのカーニバルは2月8日から25日までの日程で開催されており、まさにイタリア北部で流行が拡大する時期に重なっていた。このため、2月23日に急遽中止になるが、この時までにベネチアには多くの観光客が訪れていた。こうした観光客が、イタリア国内はもとより、ヨーロッパ各地に新型コロナを持ち帰り、これが3月以降に西欧で流行が急拡大した要因になったと考えられる8)

4)中東へはイランから
 イタリアとともに、新型コロナの流行が急拡大した国がイランだった。2月19日、同国北部にあるイスラム教の聖地ゴムで患者が発生し、その後、3月下旬までにイラン国内では3万人以上の感染者が報告された。イランは欧米諸国による経済制裁下にあり、中国との関係を強化していたことが、早期に流行が飛び火した一因と考えられている。その後、イランでの流行はイスラム教の礼拝などを介して全土に拡大するとともに、4月にはカタールやUAEなど湾岸諸国にも波及していった。
 この時に湾岸諸国で発生した感染者は、そこで働く外国人労働者が多かった。こうした国々にはインド系などの外国人労働者が数多く滞在しており、集団生活をするなど劣悪な環境で暮らしていた。こうした集団の間で、新型コロナの流行が急拡大していった9)
 さらに、4月下旬から始まったイスラム教の宗教行事であるラマダンが、中東地域での流行に拍車をかけたと考えられる。約1カ月にわたるラマダン期間中は、日の出から日没まで断食し、日没後の食事を大人数で食べることが習慣になっており、この夜の会食が新型コロナの拡大を助長したようである。

4.アメリカ大陸から南半球への波及

1)米国での被害拡大
 西欧の流行は3月中に米国にも波及し、ニューヨーク州などで感染者数が急増する。これに対処するため、米国政府は3月13日に国家非常事態制限を発令し、出入国制限や国内の移動制限などを強化した。しかし、連邦制である米国では、公衆衛生対策が州の管轄下に置かれており、感染対策が緩い州も少なくなかった。このため、4月初旬までに感染者数は19万人に増加し、うち5000人以上が死亡するという大きな被害を生じた。
 米国では4月以降も、死亡者の割合が他国に比べて多い状況が続くが、これは同国の医療保険制度によるところが大きい。米国では勤労者世代の無保険者が15%近くにのぼり、とくに感染リスクの高いサービス業で無保険者が多かった。このため、新型コロナにかかっても医療機関を受診できず、重症化して死亡するケースが少なくなかった10)。さらに、高齢者が介護施設で死亡するケースも数多く見られたが、米国では近年の新自由主義的な政策が進む中、高齢者の医療セーフティーネットが脆弱な状態に陥っていたことが一因と考えられている。

2)拙速な対策緩和
 米国での第1波の流行は4月下旬になると次第に収束に向かうが、それまでに感染者数は100万人、死亡者数は6万人と世界最大の流行国になっていた。そんな最中の5月中旬、米国政府は経済再建に舵を切り、感染対策の緩和方針を打ち出す。西欧諸国ではこの時点でも対策緩和に慎重であり、米国CDCもこの方針に懸念を表明していた11)
 この結果、6月に入ってから米国では第2波となる感染者数の再拡大が生じる。ニューヨーク州やカリフォルニア州では再び強い感染対策がとられるが、南部の州などではあまり積極的な対策がとられなかった。そして8月末までに、米国の感染者数は600万人に達するとともに、この第2波を発端にして、20年年末にまで及ぶ長期の流行が続くことになる。

3)南米への拡大
 南米では20年4月まで新型コロナの本格的な流行は起きていなかったが、5月頃からブラジルで感染者が増え始める。ブラジル政府は感染対策を進めるが、6月に入り感染者数が急増しているにもかかわらず対策を緩和したため、8月上旬にはその数が300万人に達した。その後も積極的な感染対策がとられないまま感染者は増加し、米国と同様に長期にわたる流行が続くことになる12)
 このブラジルでの流行は、南米の温帯に位置するチリやアルゼンチンにも波及していった。これらの国々は5月頃から冬の季節に入っていたため大流行になり、チリでは6月中旬、1日に4万人近い感染者が発生する事態になった。

4)南半球の流行が意味するもの
 西欧や東アジアなど北半球の温帯地域は、20年夏になると新型コロナの流行が鎮静化していた。このまま終息することも期待されたが、この時期に米国やブラジルでは流行が拡大するとともに、南半球の温帯地域にあるチリやアルゼンチンで、冬の流行が起きてしまったのである。これは、10月以降、北半球の温帯地域で冬の到来とともに新型コロナの流行が再燃し、世界的に流行が長期化することを予測させた。
 なお、南半球でもオーストラリアやニュージーランドでは、20年冬の流行を抑え込むことに成功している。両国は徹底的に国際交通を遮断することで、他国からの感染者の流入を阻止するとともに、国内で少しでもクラスターが発生すると、都市封鎖を実施するなどして対処した13)。同様な対応をアメリカ大陸の国々がとることは難しかったが、少しでもそれに近づけていれば、新型コロナ流行の長期化は避けられた可能性もある。

5.流行長期化への道

1)20年秋からの世界的大流行
 北半球の温帯地域では、予測されたように秋の始まる10月以降、大規模な流行が再燃した。この北半球での流行は、南半球の国々へも再波及し、年末までには文字どおりの世界的な大流行に至る。この時点までに世界の感染者数は8500万人、死亡者数は180万人にのぼっていた。
 20年の秋から世界的に流行が拡大した原因としては、北半球が秋から冬になり、呼吸器感染症が流行しやすい季節に入ったことが大きい。これに加えて、流行が1年近くに及ぶ中、世界中の人々が感染対策に疲れ、さらには各国政府が経済再建のため、対策の緩和を始めたことも一因になっている。
 日本でも流行が発生してから厳重な水際対策がとられてきたが、7月ごろからこの対策を緩和し、コロナ検査が陰性であれば一部の国への商用渡航を認める措置(ビジネストラック)を始めた。しかし秋以降の世界的な感染者数増加を受けて、12月には水際対策を再強化している。

2)変異株の時代に
 20年秋からの世界的な大流行の最中、英国ではアルファー株という変異株が誕生した。翌21年にはデルタ株、オミクロン株が立て続けに発生し、流行2年目は変異株の時代を迎えることになる。
 21年初頭からは世界各国でワクチン接種が始まり、流行制圧の目途が立っていたが、こうした変異株の度重なる発生と拡大により、ワクチンの効果が減衰し、流行はさらに長期化することになる。
 変異株の発生は、感染者数の増加が繰り返されることが大きな要因とされており、流行1年目に各国が感染対策を強化し続けていれば、その発生を阻止できた可能性はある。新型コロナなど呼吸器感染症の流行拡大を阻止する切り札はワクチン接種であることから、ワクチンが広く行き渡るまでの期間は、強い感染対策で変異株の発生や拡大を抑えていくことが、流行の長期化を回避するためには必要だったと考える。

6.流行初期に必要な対策

 このように新型コロナの流行初期である1年間を概観してみると、流行拡大を抑止できた3つの可能性を指摘することができる。
 第一は、中国・武漢市での流行発生の阻止。すなわちヒトが動物の保有する未知の病原体に接触する機会を減らす対策である。こうした病原体にヒトが接触する背景には、人口増加や都市化にともなう土地開発があり、今後は開発地域に生息する動物の病原体調査、開発現場に立ち入る人の感染症の監視、さらには、そこで捕獲される動物の感染状況のチェックなどの対応が求められてくるだろう。
 第二は、流行発生地である中国から世界各地への拡大阻止である。20年1月の時点で中国政府がもっと早く新型コロナの封じ込めを実施していれば、世界への波及を防げたかもしれない。これに加えて、世界各国が新たな感染症発生への監視システムを、今まで以上に強化していくことが必要である。日本でも25年4月から急性呼吸器感染症が5類感染症になり、定点サーベイランスの対象になったが、各国で流行を早期に探知するシステムの導入が始まっている。
 第三は、世界各国での感染対策の継続である。新型コロナの流行にあたっては、拡大初期こそ各国が外出制限や水際対策など強い感染対策を実施していたが、各国政府の経済再建への政策転換や、国民の対策への疲弊などにより、感染対策は次第に緩和されていった。この結果、変異株の発生などで、流行の長期化を招いていることから、対策の切り札であるワクチンが広まるまでは、強い対策を維持することが、人的ならびに経済的な被害を最小限にするためには必要と考える。さらには、ワクチン開発までの期間を短縮させることが、感染対策への疲れを軽減するためには欠かせない対応になる。

7.おわりに

 本稿では、新型コロナの流行が発生した最初の1年間を、社会文化面など人間学的な観点を含めて振り返りながら、多大なる被害が生じた背景を探ってきた。新型コロナのように社会生活に多大な影響を及ぼす感染症の流行については、今回の研究のように人間学的観点からの解析を行い、各国の政治や社会状況に応じた今後の感染対策を構築することが大切であると考える。
 人類の歴史の中で、今回のように未知の病原体が世界流行することは稀な出来事であるが、グローバル化が進行する現代社会においては、今後も同様な流行が起きる可能性は高まっている。今回の流行で私たちが得た貴重な経験を、次のパンデミック対策に生かしていくことが必要なのである。

【文献】
1)WHO(2021):WHO-convened Global Study of Origins of SRAS-CoV-2: China Part, Joint WHO-China Study 14 January- 10 February 2021 30 March 2021
 https://www.who.int/publications/i/item/who-convened-global-study-of-origins-of-sars-cov-2-china-part
 最終閲覧日:2025年9月28日
2)Worobey M, Levy JI, Serrano LM et al. (2022) The Huanan Seafood Wholesale Market in Wuhan was the early epicenter of the COVID-19 pandemic. Science. 377: 951-959.
3)Crits-Christoph A, Levy JI, Pekar JE et al. (2024) Genetic tracing of market wildlife and viruses at the epicenter of the COVID-19 pandemic. Cell. 187,5468-5482.
4)Li W, Shi Z, Yu M et al. (2005) Bats are natural reservoirs of SARS-like coronaviruses Science. 310(5748):676-679.
5)早川真(2020)ドキュメント武漢. 平凡社新書946
6)熊谷徹(2020)パンデミックが露わにした「国のかたち」~欧州コロナ150日間の攻防. NHK出版新書630
7)田嶋淳子(2021)イタリアにおける中国系移住者家族の変遷. 移民政策研究. 13:66-78.
8)植田隆子 編著(2021)新型コロナ危機と欧州~EU・加盟10カ国と英国の対応. 文眞堂
9)堀抜功二(2020):アジア経済研究所 沙漠の国のエクソダス・コロナ禍に揺れる湾岸アラブ諸国の外国人労働者たち
 https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000013/ISQ000013_004.html
 最終閲覧日:2025年9月28日
10)三牧聖子(2021)コロナ危機で変わるアメリカ ~「大きな政府」への転換点. 国際法外交雑誌. 120:376-385.
11)The Lancet ~Editorial(2020)Reviving the US CDC. Lancet. 395(10236): 1521.
12)堀坂浩太郎(2020) 感染爆発のブラジル~独断専行の右派大統領とリベラルな民主主義体制の相克. 国際問題. 697:5-14.
13)青山友子(2021)COVID-19パンデミックへのニュージーランドの対応. DOHaD研究 10(1):64-68.